都城市立図書館がリニューアル。公共図書館とは思えない空間。
4月28日にオープンしたばかりの都城市立図書館に行ってきました。
この図書館は、もともと都城市の中心市街地にあった百貨店跡地(都城大丸センターモール)を活用する形で作られた、いわゆるリノベーションだそうです。
図書館のほか、会議室やキッチン、保健センター、子育て支援のスペースやイベント広場などの公共施設が複合的に整備された、市街地の中核施設になっています。
いい意味で公共図書館らしからぬ、素晴らしい空間になっていました。
外観。洗練されたデザインが目を引きます。「mallmall(まるまる)」がこの施設全体の愛称です。
エントランスのサインもおしゃれです。
中央部分の吹き抜けがとても開放的。階段下はステージのようになっていて、トークショーなどのイベントが行われるようです。
いま、館内でどのようなイベントや企画展が行われているのか、を一覧できるマップがありました。
館内にはギャラリーも。
「みやこのじょう つながり発酵展」という企画を開催中でした。
ギャラリー横には、「Mall Market」というカフェが。
ランチを頂きました。食材も、コーヒーもコーヒーカップも地元のものだとか。
ランチを楽しみつつ読んだのは、タブロイド新聞形式になっている新・都城市立図書館のパンフレット。(PDFでも公開されています。)
図書館の蔵書は約30万冊、うち14万冊が開架です。まだ書棚には空いているところも。旧図書館からの引越し作業を昨年秋から行なってきたそうです。これからどんな本で埋まっていくのでしょう。
一般的な蔵書検索システムなども当然あるのですが(カッコイイ)
1階にあるインデックスコーナー。QRコードのついたキーワードがスタンプになって並んでいて、紙に押して館内の検索用端末に持っていき読み込ませると、キーワードに関連した蔵書が検索できる仕組みです。自分のスマホで読んでも検索できました。これからキーワード自体も増えるみたいです。
館内はバリアフリーであるだけでなく、点字図書や対面朗読・録音などに対応してもらえるブースも。とてもユニバーサルな作りです。
録音用マイクはRODEでした。色からするとNT-1かな?(職業病)
音声ボランティアさんも募集されています。
雑誌コーナー。最新刊の雑誌が読めます。
試験的にだそうですが、フタ付きの飲み物なら持ち込みがOKになっているので、コーヒーなどを持ってくつろいでいる方々の姿が多く見られます。
飲み物だけでなく、食べ物も持ち込んでOKな「おべんとうコーナー」もあります。
「こどものほん」コーナー。
隣には、キッズスペースや授乳室もありました。
紙コップ?を使った遊びが行われていました。このスペースは仕切られているので、多少声を出して遊んでいても気になりません。
逆に静かに集中したい、という人には、その名も「静かな部屋」があります。
館内には500席以上あるのですが、それぞれ空間の感じや椅子、環境が異なり、思い思いの場所で楽しむことが出来ます。Wi-Fiもあるし、席によっては電源も。スマホの充電しながら勉強してたり、読書している若者の姿もたくさん。
「ティーンズ優先のスペース」という場所も。児童書はたいてい分けられているけれど、ティーンズという分け方は図書館では珍しいんじゃないでしょうか。ここに通ってくる若者たちから何かが生まれそうな予感がします。
プロジェクトスタジオ。
国際交流エリア。都城市と友好都市を結んでいるウランバートル(モンゴル)と重慶(中国)に関する展示も。
地方の公共図書館ならでは。行政資料、地域資料コーナー。
館内の展示や本の陳列に使われているこの木製の箱、都城製の「つみ木ばこ」といって販売もされるんだとか。
簡易製本ができるブックマシーンも。
設備の充実だけでなく、空間・家具・サイン等のデザインや併設施設など図書館としての居心地の良さや機能は十分すぎるほど整っているのですが、それ以上に「わくわく」させてくれるものがある図書館でした。というか、いわゆる既存の公共図書館のイメージからはだいぶ飛び抜けた何か、になっていた気がします。
オープンしたばかりですが、置いてあったノートには5日間連続で通ってきています、という書き込みも。気持ちはわかるなあ。
なにか必要があって利用する、というよりも、この図書館を目的地に訪ねてみたくなる場所です。1日ここでゆっくり過ごすというのは、とても豊かな時間じゃないでしょうか。
ちなみに、自分のように遠方からやってきた人は、貸出サービスを受けるための利用カードを作ることができません。都城市に在住、在勤、在学の方か、または近隣市町(三股町、高原町、曽於市、志布志市)在住の方が対象となっています。
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【2018.06.17追記】
5月末付で、ルールが改訂されています。
「日本国内に居住されている方で、本人確認書類(運転免許証・健康保険証・学生証など)をお持ちの方」
が利用者カードを作れるようになりました!
http://mallmall.info/news.html?no=7
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市立図書館なので当然なのですが、逆に市民でも無い自分からすると、この空間を利用するのに無料で使わせてもらうのは、都城市に申し訳ないような気すらします。
むしろ、入館料があれば払って気持ちよく使いたい。・・・のですが、図書館法17条で公共図書館は入場料を徴収してはいけないことになっているのです。ならば、たとえば都城市にふるさと納税した人にだけ地域制限を外して利用カードを発行するとか、できませんかね。どうでしょう。
この図書館があるのはかつて百貨店「都城大丸」があった場所。
図書館を中心に、いくつかの公共施設が整備されています。
立体駐車場が併設されていて、施設利用者は3時間無料(2施設利用で6時間無料)。
図書館のとなりの建物はこんな感じ。
まちなかキッチン。料理教室なども企画されているようす。
施設をつなぐ通路部分は、イベントスペースになっています。オープン記念イベントが行われていました。
人口減少、市街地の衰退、高齢化。日本全国どこの街も等しく抱えている問題ではあります。そんな時代のまちづくりとして、教育・文化施設に思い切った投資をするというのは、特に短期的な成果を求めるとすると大変チャレンジングなことにも思えます。
併設された施設を見ると、子育てや市民活動、料理、創業支援など「なにか新しいものを生み出す」ことに力点を置いているようにも見えます。図書館としても、図書館が何かサービスを一方的に提供するというよりも、この図書館を利用するまちの人々の関わりによって、ここから生み出されるものがまちに還元されていゆく、そんな場を目指しているような気もしました。
施設のウェブサイトに掲載されている、前館長から現館長へのメッセージにも
”「図書館は成長する有機体」という考え方は、“まちづくり”と とてもよく似ています。”という言葉が出てきます。
自分は車で1時間ほどのところですが、ときどきは通って行きたくなる場所。そんな人も多いんじゃないかな。目当ての本を読みたいだけなら、いまどきAmazonもkindleもあれば地元図書館でも取り寄せてくれたりします。だけど、ここで過ごしたい、と思わせてくれる場所はなかなかないですよね。
近隣に民間のテナント出店の予定もあるそうです。この拠点を活かし、都城のまちがどのように変わってゆくのか、ちょっと長い目で追いかけていきたいと思いました。こういうのも、関係人口って呼んでもらえるのでしょうか。
気がついたら図書館の写真を100枚以上撮っていました。
(館内の写真撮影は許可が必要です。本記事中の写真で人が写っている部分についてはマスク処理をしています。)
ローカルメディアナイト #1
このTogetterに煽られまして、ローカルメディアナイトというイベントをやってみました。この記事はそのアーカイブというか備忘録です。
鹿児島ローカルのメディアの中の人(テレビ、ラジオ、新聞、ウェブ、等々)が最初は数人で、と思ってたのですが某マニアックスさんの拡散により20人超え。非メディアの人も来てくれました。
まずは、今回の議論の目的と、いくつかテーマになりそうな視点を提示しました。
ざっとまとめます。
1.テレビ局の構造の話
全民放局のうち、自社制作比率が30%を超えるのは1割ほど。6割の局は10%以下しか無い。収入としてはテレビ事業(いわゆる放送事業収入)が8割~9割。地方局もそうなのであれば、あまり「自分たちで作ったものを売ることで稼ぐ」という構造にはなっていない。キー局が作ったものを流すことで収入も得られてやっていけるのなら、いち民間企業としてはまずはそれでいいんじゃないの?という気も。
じゃあローカル番組が増えてる(増やしたい)のはなぜ?
ローカルメディアとしての挟持、という声も。
2.メディアのお金の話
テレビ・ラジオはほとんど広告。
新聞は、広告と課金(購読者からもらうお金)のハイブリッド
AmazonPrimeとかNETFLIXもハイブリッド。
お金のもらい方でみると、テレビはフリーペーパーに近く、AmazonPrimeは新聞に近い。何で稼ぐのか、もメディアのあり方を決める。
3.ネット配信の話
NHKオンデマンドとか、TVerとか、テレビ各局がウェブで配信、という流れ。
エリアを問わずアクセスできるようになるから地方局が無くても見られる。
いっぽうで、AmazonPrimeやNETFLIXはプラットフォーム(だったけど、コンテンツも作り始めた。)
地方局がウェブ配信へ、という流れも、あることはある。
キー局も地方局も自社配信が多い。プラットフォームが増えると、見るのが煩雑になる。たとえばAmazonで、地方局の番組が見られたらいいのに。
スマホで見られたら、地元番組でもテレビじゃなくてスマホで見たい(テレビのためにその時間を自宅に拘束されるのがイヤ)という声も。
3.コンテンツ、インフラ、デバイス
この3つは分けて考えたい。たとえば「ラジオ」といったときに、コンテンツの話なのか、インフラの話なのか。
と、これはやっぱり議論を深くしていくとごっちゃになりがち、という印象。ときどき「それは同じコンテンツを違うデバイスで見たい、っていうことだよね」というような整理を。
4.免許、規制、放送法、などなど
放送局を作るためには、公共財である電波を使うための免許が必要。この免許をとるのはけっこう大変。それでも、電波はそもそも限られた範囲にしか届かない。
新聞のような紙媒体は、免許の必要は無し。きょうから新聞社を名乗って、記事を書いて印刷して宅配すれば、新聞社になれる。やっていけるかどうかは別として。
そのぶん、新聞は自由かと言うと、そうでもなかった歴史もある。
昭和初期、新聞統制というのがあった。
国が言論を管理しやすくするため、新聞用紙の供給を制限して整理統合を進めた。
新聞紙等掲載制限令(昭和16年)で、記事の内容も管理される。
800紙以上あった新聞は、太平洋戦争開戦後には50紙ほどに。もともとは超ローカル紙がいっぱいあった。「一県一紙体制」の完成。
戦後、自由に新聞社が作れるようになって一県二紙以上の例や放送局に新聞社が出資する例も相次ぐように。
放送法(昭和25年)には、政府がメディアに介入したことへの反省もふくまれているのでは?
最近、改正議論が出たのがこの4条
(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの
角度から論点を明らかにすること。
本来、国が規制を緩和して自由になるのはメディアにとっていいことでは?規制されたいのはちょっと変な気も。「偏った番組や局が増えるから規制が必要」という議論はわかるけど、そもそも放送法では新聞やネットは規制できない。
むしろ、メディアの自由度については、3条が大事なんじゃないかな。
(放送番組編成の自由)
第三条 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。
5.防災の話
地方局には防災の役割もあるよね。という話。
1995年1月17日 阪神淡路大震災
空撮映像など、大きく報じられた。実際に被災した現場に必要だった情報(炊き出しやライフライン、行政の個別対応、外国語の情報 etc...) に個別に対応した小さな放送局(制度化されたばかりのコミュニティ放送)があった。
震災の2年後、「臨時災害放送局」が制度化。発災直後に、簡便な手続きで放送局が設置できるように。
東日本大震災では30局以上が開局。熊本地震でも4局開局した。
防災メディア、と呼ばれることへの違和感。
ふだんから視聴者、読者との関係性をどの程度作っておけるか。
その視点がないと、災害時に役割を果たせない。
1次防災(発災前、発災直後に、いかに生命を守れるか)と、2次防災(発災後の被災者に対して必要な情報を個別的確に届ける)は、必要な職能が異なる。それぞれ適したメディアがありそう。
6.こんな話が出たよね、というメモ
一般からみると、よくわからない存在かも。連絡網的な役割も。
ネットメディアや記者クラブに入ってないメディアが、県庁とか予算の話とかに入っていくのはちょっとハードルが高い?
・全国向け、地元向け
それぞれコンテンツのテーマの選び方、作法が違うよね、という話。
某マニアックスは7割県外からのアクセス。
・制作費の違い
地方局とキー局では、番組制作費がざっと数十倍違う。それだけお金をかけたコンテンツだからクオリティも高くなるし単純にローカルよりそっちを見たい、という声も。
・同じ取材現場にテレビ5局、新聞2社、とか来てるときも。多くない?
効率化、圧縮出来るコストもありそうだけど、系列の縛りとかいろんな事情も。
・ネットの信頼感
ネットはよくわからない、と思われてる面もあれば、逆に既存メディアは偏ってて信頼できる情報はネットにある、という人もいる。信頼感ってなんだろうね、という話
某ネットメディアはどこよりも早く出すため予定稿を書いている。
・ローカルメディアの未来
こんな場に集ってくる「野武士」が作るのかもしれない。
当日のまとめは以下。適宜追記します。
次回は検討中ですが多分あると思います。
関わってみたいという方がいればぜひ。
ハレとケ:都会が祭りに見えた日
自分はコミュニティメディアの人であって、いわゆるコミュニティづくりとかコミュニティデザインとかになると専門外なのですが、なにかとそういう話の近くにいることもあり語る機会もないこともないので整理の意味も込めてコミュニティ観みたいなものを記してみます。
地方で生まれ育った人が東京で初めて渋谷だとか新宿だとかの人の多さを見て「これは何の祭りだ」と驚く、みたいな話はよくあります。
祭りというのは「ハレとケ」でいうところのハレ、すなわち非日常であるわけです。自分の例で言うと、もともと生まれ育ったまちは5000人ほどの人口規模のところで、となりまちであった7万人ほどの地方都市に出掛けることも、幼いころは充分「ハレ」でありました。地元にはおもちゃ屋さんが無かったんです。(のちに合併して同じ自治体となりました)
たとえば成長して大人になったり(≒自分で使えるお金が増えたり)、交通アクセスが良くなったりして行動範囲が広がると、「ハレ」の閾値が上がるわけです。いったん東京の「祭り」を見ると、7万人ほどの街は「ハレ」感が相対的に小さく見えるし、東京のような大都市で暮らして人がたくさんいることに慣れると、人の多さを祭りに感じることも無くなり、3万人以上が都心部を走るマラソン大会みたいな「新たな非日常」を生み出したりすることになります。東京マラソン走ってみてえよ。
「ハレ」の閾値は、行動範囲の拡大とともに情報化によっても起こります。様々なエリア、様々な情報にアクセスすることが容易になると、「ハレ」の閾値はインフレ状態になっていくのです。
この「ハレとケ」という概念はあくまで日常と非日常の対比であって、都会的であるか否か、洗練されているか否かではありません。なので、逆に東京しか知らない人が非日常を求めて地方へやってきたりするわけですね。手付かずの山村風景が「ハレ」になることもある。
ところでコミュニティと現在呼ばれているものの多くは、「ケ」のほうに軸足があります。コミュニティの日常を、どう維持するか。その視点で、さまざまな慣習やルールなどが決まっているのです。こうした文脈のなかに置かれる「ハレ」というのは、あくまでそこにある「ケ=日常」を破壊しない程度の「ハレ」でなければいけません。「ハレ」の日が終わった翌日には、いつもの日常(=ケ)がきちんとあることが重要なのです。持続するコミュニティというのは「ハレ」の度合いが上手くチューニングされているのではないでしょうか。逆に「ハレ」を維持することのみに執心してるようなコミュニティは、ちょっと厳しく見えますね。
前述のハレ閾値インフレによって、このチューニングが難しくなることがあります。これまで行なわれてきた(実際の意味での)祭りに人が集まらなくなってきた、担い手が居なくなってきた、という話はよくありますね。その祭りがハレとしての機能をなくしたというよりは、関わる人々のハレ閾値がインフレになったことによりコミュニティの「ケ」を維持することが難しくなったといえるのではないでしょうか。
いちおう日本の話に限れば、人口減少のトレンドはもうひっくり返らないわけです。自然増減で言えば長期的にはどのコミュニティも人は減ってゆく。そうするとカギは社会増減なのですが、ハレ閾値インフレの背景にあるのは情報化と人口移動なので、単に数的な拡大を目指しつづけるコミュニティというのはやっぱり厳しい。
じゃあコミュニティを維持するために(維持を目的化することが本当に良いことなのかどうかの議論はいったん置きます。)、どんなことができるでしょうか。
たとえば「閉鎖的なコミュニティ」化を目指す選択肢があります。できるだけコミュニティの構成員を外部の「ハレ」に接触させない。鎖国です。コミュニティ内部の基準、ルールのみで「ハレ」と「ケ」が作れるのでチューニングが容易です。しかし「閉ざし続ける」という戦略が難しいことは、日本は150年前に既に経験してるわけですね。
再度書きますが、「ハレとケ」という概念は日常と非日常の対比です。
もしコミュニティを維持しようとするのなら、自分たちの「ハレ」は他のコミュニティから見たときに「ケ」である可能性もあるし、そのまた逆も然り、ということを前提にしたほうがいいように思います。そして目の前にいるそのコミュニティの構成員は、明日別のコミュニティに属しているかもしれなくて、そこでは「ハレとケ」のルールが入れ替わっていたり全く違うものであったりすることも。
ここでひとつ、「内と外へ二面性のある表現をすること」を提示しておきたいと思います。
コミュニティ内部に向けた表現、インナーマーケティングと言ってもいいんですけども、これは「ハレとケ」を明示しておくほうがよくて、自分たちが守りたいものはこういう「ケ」の姿であると。そのためにこのような「ハレ」をおくんだということをはっきり共有するわけです。
いっぽうで、コミュニティの外に向けては、自分たちにとっての「ケ」を「ハレ」と感じてくれる別のコミュニティとの接触を目指す表現をする。似たようなコミュニティどうしでつながりやすいのが現代ですが、それよりも価値基準の異なるコミュニティの血が入るバイパスを確保しておく。チューニングを自分たちの手から離し、仮にもともと内部にいた構成員が居なくなったり衰退したりしても、血が絶えないようにするのです。そのとき「もともとのハレ」は維持できていない可能性が高いので、「(もともとの)ケ」を「ハレ」と感じてくれる別の構成員がそこにいる必要があるのです。
自分が直接面識のある方々の属するコミュニティにも、この二面性を備えたものがいくつか頭に浮かびます。狙ってそうしているのかどうかは別として、共通点を見出そうとしてみると上記のように見えています、というのが今回の話。
「ハレとケ」という言葉は「聖と俗」と言い換えてもいい。メディアというのは聖と俗を結ぶもの、ハレとケを媒介するものでなければならないので、ではコミュニティメディアというのはどうあるべきかという話につながるのですがこの話は長くなるのでまた別の機会に。
【写真大量・猫多め】いまごろなぜか2002年のギリシャ旅行記
藤村シシンさんの本読んで、そうそう自分もギリシャ行ったわーと思ってデータ掘ってたら出てきました昔の写真。
タイムスタンプ見たら2002年2月。たいがい古いですね。
当時ブログサービスらしいものはそこまで無く、基本的に個人の記録として撮ったものなんで我ながら写真ヘッタクソですが。
ちなみに旅行に持ってったデジカメはコレです。
210万画素の高画質!
当時は普通に使えるヤツでした。
画質もそれなりなことはご了承いただければ。
こいつをお供に、降り立った地はもちろんアテネ(実は同行した友人の希望でギリシャの前にフランスに行ってますがそこは割愛)。
当時のアテネは、2004年のオリンピック開催を控え活気づいている印象でした。東京も頑張れ!
さて。
まずは何と言ってもここに行かなければ。
これは前門(プロピュライア)。まずここを抜けてからパルテノン神殿などが建つゾーンへ行くわけですが、まずここでテンション上がるよね。柱が星矢だってなるよね。ドーリア式だっけな。
パルテノン神殿と同じくアクロポリスに建つ、エレクティオン神殿。
少女の像が柱に使われているのが特徴的。
エレクティオンには公式サイトがあり、ここではかつての姿(想像図?)を見ることができます。古代ギリシャの神殿が極彩色に彩られていた、というのがよくわかります。少女像もカラフル。
同じくアクロポリスのヘロディス・アッティコス音楽堂。ここでコンサートとか聴いたら最高でしょうね。
アクロポリスからの風景。
アテネの街から見上げたアクロポリス。音楽堂とパルテノン神殿が見えます。
アテネ市内はそこらじゅうに遺跡があります。これはハドリアヌスの門。
アテネ中心部にあるシンタグマ広場。「シンタグマ」とは憲法の意。ギリシャ王国の憲法がここで発布されたそうです。古代ギリシャにかぶれた法学部生だった自分はこの広場で横になって小難しい本を読む、というのをこの旅の目的のひとつにしていました。いま思うとかなり中二臭い。
この広場に面して国会議事堂があるのですが、ここでは定期的に「衛兵の交替式」が行われます。運よく見ることができました。民族衣装的な装束の兵隊さんたちが行進してきます。
これが国会議事堂。壁面には「無名戦士の墓」があり、ここで衛兵の交替が行われます。建物がいちいちカッコいいですね。
そのカッコいい建築物の中でも、これには特に惚れ惚れしました。ギリシャの学術院だそうですが、左にアテナ像、右にアポロン像。カッコいい。ずっと見ていたい。
アテネ市内だけでも時間がいくらあっても足りませんが、どうしても行きたかった場所のひとつが「スニオン岬」。星矢だと双子座のカノンが幽閉されていてポセイドンとつながっていく、あのストーリーの舞台になった場所。
実際のスニオン岬に行くにはアテネから日帰りツアーを利用します。
ここからエーゲ海に沈む夕日はヨーロッパで最も美しいと言われていますので、その夕日も見たいのだけど、それよりも目的はこれ。ポセイドン神殿!
お天気も最高。スニオン岬、エーゲ海、ポセイドン神殿。いいです。最高です。
ポセイドン神殿を眺めながらコーヒーが飲めるカフェがあります。
グリースコーヒーはコーヒーの粉をフィルターで濾さずに注ぐのでうまく飲まないとちょっと粉っぽいのですが、そういうのも含めていいですね。最高です。
ポセイドン神殿の間近まで行くことができます。
少し日が傾いてくると、やや茜色に染まり始めるポセイドン神殿。最高です。
美しい。
逆光で見るシルエットもカッコいいのです。
まさに海神ポセイドンにふさわしい佇まいでした。
ほんとはエーゲ海の島々もめぐってみたかったのですが、他にも行きたいところがあったのでポロス、イドラ、エギナ3島だけのプチクルーズに参加しました。
いかにも(現代)ギリシャな風景。
島ではHONDAのバイクが。
エーゲ海の夕日は、息を飲む美しさです。いまだったらもっといいカメラ持って行きたい。
再びアテネ市内観光。
これも訪れないわけにはいかない場所。古代アゴラ。
民主主義発祥の地とも言われています。丘の上に見えるのはヘファイストス神殿。
2000年代であることを忘れさせてくれる風景です。
ヘファイストス神殿。ヘファイストスは雷や火山、そして鍛冶の神様です。損傷の激しいパルテノン神殿と比べて比較的形状を保っていて、むしろ雰囲気があるように感じられました。
この角度からが美しい。最高です。
これが紀元前の風景だと言われても納得のいく眺め。
同じく古代アゴラにある、アッタロスの柱廊(古代アゴラ博物館)。
復元ですが、実に美しい建築物です。
古代ギリシャの人々も、このような景色を見ていたに違いありません。
外側の柱はドーリア式、内側の柱はイオニア式です。
かなり長時間滞在してしまいました。あまりせわしない旅は向かない土地です。
宿泊していたホテルからのアテネ市街。
さて、食事だとかお土産買うとか、そういう観光客的なことをしようと思うとおすすめされるのがプラカという地区。土産物店がたくさんありますし、地元の方もたくさん。
フリーマーケット的な何かが行われていました。
もうひとつ行ってみたかった場所。それが世界遺産にも登録されているメテオラ。
アテネから丸一日かけて列車で移動し、カランバカという村で一泊して翌日ようやくたどりつきました。
ここはギリシャ正教の聖地で、自然の風化作用でできたといわれている奇岩の上に修道院がたくさん建っています。
基本的に生活物資は写真のようなケーブルで運ばれています。
このような場所で修行を重ねることで、見えるものがあるのでしょうか。
実際に中を見ることができる修道院もあります。中は撮影禁止だったので、途中の写真を。こんなところを通っていきます。
遠くから見ても、やはり不思議な光景です。古代ギリシャの神々とは異なる、神聖な何かを感じました。
村のほうから見上げたメテオラの修道院群。
【番外編・ギリシャの猫】
というような旅だったのですが、写真のストックを見たらかなり猫の写真がたくさんありました。ギリシャでも猫はみんなマイペース。
遺跡のそばでものんびり。
エーゲ海の島でものんびり。
何かを狙ってます。
近づいても逃げないので、観光客にも慣れてるんでしょう。
ギリシャの猫も高いところ好き。
プラカ地区には犬がいました。みんな寝てたけど。
ということで、写真が発掘されたのでいまさらながら2002年の旅行記でした。
また行きたいなあ。
旧宮之城線・薩摩山崎駅&船木駅跡を訪ねてみた。
あまり普段は通らない道を車で走ってたら、こんな表示板が目に入りまして。
旧宮之城線は個人的にちょこっと追いかけてまして、先日も薩摩大口駅跡に行ってきたところ。
旧宮之城線・薩摩大口駅跡を訪ねてみた。 - ローカルメディアマンの日常。
薩摩山崎駅跡は意外と来たことがなかったので、Uターンしてみることに。
だんだんスタンプラリーみたいになってきたぞ。
場所はこのへん。
これまで見た駅跡の中でも、かなりキレイな公園として整備されています。
目の前にバス停もあるので、東屋的な施設も。
藤村シシン「古代ギリシャのリアル」はマジでリアル。
もともとはコチラの記事で知ったのですが。
この藤村シシンさんという方、とても面白い。
きっかけは「聖闘士星矢」。
恥ずかしながら自分も聖闘士星矢(原作版)を読み、ギリシャ神話に興味をもってカブれてゆき、大学4年の時に卒業旅行と称してギリシャまで行ってしまった経緯があるので大変共感して読みました。ほんとデスマスクのせいで蟹座は・・・
で、著書のこちらを読んでみたわけですが。
とてもよかったです。装丁にしても書きぶりにしてもかなりポップでカジュアルながらタイトル通り古代ギリシャのリアルな姿がありありと伝わってくる本。
ちらっとでもご存知の方ならお分かりのとおり、ギリシャの神々はすぐ様々な交わり方をするのでところどころ18禁です。紳士淑女のみなさんは心して読むように!
細部は本を読んで欲しいのですが、以下雑感。
日本人と古代ギリシャ人の共通点みたいな話が出てきます。
恋愛をしてみたりいたずらをしてみたり、とても人間臭い神々がギリシャ神話の特徴ですが、いわゆる「神様」のイメージとは遠いなあ、と感じる人も少なくないはず。
自分も多数の日本人と同じく、特定の宗教を持っているわけではありません。
食事の前には手を合わせ、お盆にはお墓参りをし、受験前には神社で御守を買ったり、厄年だといえばお祓いをしてもらったりする。そういう「生活様式」としての信仰が、けっこう古代ギリシャの神々の信仰には近いのかもしれません。
もともとは神話や故事に基づく風習だったりしたものが現代の生活にアレンジされる形で残ってゆく。ギリシャ神話に新しいストーリーや解釈が重ね塗りされてゆくのにもよく似ています。
また古代ギリシャでは「働くことは貧しいもののすること」という価値観もあったとか。現代社会では決して認められませんが、労働は奴隷が行うもので一般市民は余暇を活かして遊んだり議論を重ねたりしました。古代ギリシャで哲学が花開いたのはそういう歴史もあります。
ロボットに仕事が奪われるなら遊んで暮らせばいい、と某氏が発言したのが話題になってましたが、現代の我々が暮らす価値観は根源的にはいずれ古代ギリシャに通ず、なのかもしれません。
なんだかんだで、古代ギリシャは「生きる」ということを考えさせてくれる魅力がある。かつてそんなことを思っていたのを、本書が思い出させてくれました。
藤村シシンさんの動向、今後もチェックしていきたいと思います。
藤村シシンに関連する22件のまとめ - Togetterまとめ
自分の場合はギリシャ神話に興味を持ったあと、最初に読んだ本はたしかこれ。
きっかけになった聖闘士星矢、別作者のスピンオフ作品みたいなのはどうも苦手だったのですが、「冥王神話」シリーズは車田先生によるオフィシャル続編。このシリーズにもギリシャの神々がたくさん出てきます。神話と比較して読むと面白いかも。
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と、こんな記事を書きながら昔の写真を整理していたら、出てきました。
およそ15年前に行った卒業旅行、ギリシャの写真が。これは別の記事にしてみたいと思います。
旧宮之城線・薩摩大口駅跡を訪ねてみた。
宮之城線、というローカル線をご存知でしょうか。
宮之城線(みやのじょうせん)は、かつて鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)の川内駅から同県大口市(現・伊佐市)の薩摩大口駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化を約3ヵ月後に控えた1987年(昭和62年)1月10日に全線廃止となった。
現在は、九州新幹線のほか鹿児島本線、肥薩おれんじ鉄道が乗り入れている川内駅ですが、かつてこの駅を発着していたもうひとつのローカル線です。
昭和62年に無くなったので、走っている姿を覚えている人は少なくとも30代後半以上でしょうね。
自分も、オレンジ色の車体がなんとなく記憶にある程度です。という話をすると必ず先輩方からは「もっと昔はSL(蒸気機関車)が走ってたんだ」と言われますが。
川内駅に拠点を構えるローカル放送局として、ときどきこの宮之城線を取材対象とすることがあるのですが、川内駅に近い側(薩摩川内市側)ばかり扱っていたので正直なところ反対側(現在の伊佐市側)はよくわかっていませんでした。
伊佐市を通る機会があったので、そんなことを考えていたらこんな石碑を発見。
終点の薩摩大口駅からひとつ手前、羽月駅の跡地は公園になっていました。
宮之城線はまったく痕跡が残っていない駅跡もあるので、線路、表示板、写真、踏切まであって公園整備もされているというのは貴重。
こうなってくると、終点の薩摩大口駅跡を見ないわけにはいきません。
Google先生に教えてもらいながら、それらしい場所を目指します。
薩摩大口駅跡に建っていたのは・・・こんな建物。
「大口ふれあいセンター」というそうです。多目的ホールや調理実習室、トレーニングジムなどもある複合施設。関係ないですがこういう公共施設のジムってお得に利用できるケースが多いですよね。この施設も2時間200円と激安!
文化施設 ::: 教育・文化・スポーツ ::: 鹿児島県伊佐市
・・・と、トレーニングをしに来たわけでもありませんでした。
この施設の4階が、「伊佐市大口歴史民俗鉄道資料館」になっています。
歴史や民俗に関する展示もありますが、「鉄道」の部分は旧薩摩大口駅関連のものがたくさん。思いつきで行ったので閉館時間ギリギリだったにも関わらず、係の方に丁寧に説明して頂きました。
ポイント切替器。いきなりマニアックです。
※ 写真撮影OKいただいています。
「川内行」の文字も。ここから川内に行ってたんですねえ、と思ってたら「海水浴専用 阿久根行」の文字。
宮之城線は薩摩大口ー川内のあいだの路線です。阿久根にも行ってたんですか?とお聞きしてみました。
旧薩摩大口駅があった大口市(現在の伊佐市)には海がありません。
かつて大口の子どもたちが海水浴に行くというのは一大イベントでした。そのため旧国鉄が夏の間だけ阿久根で海水浴が楽しめるように臨時の直通列車を出していたんだとか。きっとたくさんの笑顔を運んだに違いありません。
展示物がたくさん。
この表示板は実際に使われていたもの。
ここであれっ、と思いました。ひとつ隣の駅であるはずの、さっき通ってきた「羽月駅」の表示が無い。
薩摩大口駅は、宮之城線の終点駅であると同時に水俣と栗野(現在の湧水町)を結ぶ山野線の駅でもありました。「郡山八幡」「西菱刈」はいずれも山野線の駅名です。
山野線が廃線となったのは1988年2月1日で、宮之城線の廃線は1987年1月10日。宮之城線のほうがおよそ1年早く無くなっていたんですね。なので、この表示板は「にしひしかり」の下に「はつき」と書かれていたものをペンキで塗って隠し、1年ほど使われていた、ということのようです。写真でも、よーく見るとうっすら「はつき」の文字が。見えるかな。
鉄道があると必ずその沿線の人の暮らしがあります。
これまで宮之城線を取材する中でお聞きしたことですが、
「山太郎がに(モクズガニ)をカゴいっぱいに積んで売りに行っていた」
「竹を切り出して宮之城線で運び、川内から東北に運ばれて養殖用のイカダに使われた」
などなど、どれもドキュメンタリーになりそうな話がたくさんあります。
現在では一級河川・川内川の治水に大きな役割を担っている鶴田ダムの建設にもこの宮之城線は大きく寄与しています。
薩摩川内の駅でも宮之城線沿線に入来や樋脇など温泉地が多いのですが、ダム建設に関わる作業員の方々で温泉が賑わってきた歴史もあるようでした。
鉄道が無くなることで、人の営みの記録や記憶も消えてしまうことがなければいいなあ、と思ったプチ旅。
大口ふれあいセンターの前には、鉄道公園もあってこちらには車両も置かれています。
もう動くことのない運転席だったと思われる場所。いまも駅跡を見つめています。