旧宮之城線・薩摩大口駅跡を訪ねてみた。
宮之城線、というローカル線をご存知でしょうか。
宮之城線(みやのじょうせん)は、かつて鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)の川内駅から同県大口市(現・伊佐市)の薩摩大口駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化を約3ヵ月後に控えた1987年(昭和62年)1月10日に全線廃止となった。
現在は、九州新幹線のほか鹿児島本線、肥薩おれんじ鉄道が乗り入れている川内駅ですが、かつてこの駅を発着していたもうひとつのローカル線です。
昭和62年に無くなったので、走っている姿を覚えている人は少なくとも30代後半以上でしょうね。
自分も、オレンジ色の車体がなんとなく記憶にある程度です。という話をすると必ず先輩方からは「もっと昔はSL(蒸気機関車)が走ってたんだ」と言われますが。
川内駅に拠点を構えるローカル放送局として、ときどきこの宮之城線を取材対象とすることがあるのですが、川内駅に近い側(薩摩川内市側)ばかり扱っていたので正直なところ反対側(現在の伊佐市側)はよくわかっていませんでした。
伊佐市を通る機会があったので、そんなことを考えていたらこんな石碑を発見。
終点の薩摩大口駅からひとつ手前、羽月駅の跡地は公園になっていました。
宮之城線はまったく痕跡が残っていない駅跡もあるので、線路、表示板、写真、踏切まであって公園整備もされているというのは貴重。
こうなってくると、終点の薩摩大口駅跡を見ないわけにはいきません。
Google先生に教えてもらいながら、それらしい場所を目指します。
薩摩大口駅跡に建っていたのは・・・こんな建物。
「大口ふれあいセンター」というそうです。多目的ホールや調理実習室、トレーニングジムなどもある複合施設。関係ないですがこういう公共施設のジムってお得に利用できるケースが多いですよね。この施設も2時間200円と激安!
文化施設 ::: 教育・文化・スポーツ ::: 鹿児島県伊佐市
・・・と、トレーニングをしに来たわけでもありませんでした。
この施設の4階が、「伊佐市大口歴史民俗鉄道資料館」になっています。
歴史や民俗に関する展示もありますが、「鉄道」の部分は旧薩摩大口駅関連のものがたくさん。思いつきで行ったので閉館時間ギリギリだったにも関わらず、係の方に丁寧に説明して頂きました。
ポイント切替器。いきなりマニアックです。
※ 写真撮影OKいただいています。
「川内行」の文字も。ここから川内に行ってたんですねえ、と思ってたら「海水浴専用 阿久根行」の文字。
宮之城線は薩摩大口ー川内のあいだの路線です。阿久根にも行ってたんですか?とお聞きしてみました。
旧薩摩大口駅があった大口市(現在の伊佐市)には海がありません。
かつて大口の子どもたちが海水浴に行くというのは一大イベントでした。そのため旧国鉄が夏の間だけ阿久根で海水浴が楽しめるように臨時の直通列車を出していたんだとか。きっとたくさんの笑顔を運んだに違いありません。
展示物がたくさん。
この表示板は実際に使われていたもの。
ここであれっ、と思いました。ひとつ隣の駅であるはずの、さっき通ってきた「羽月駅」の表示が無い。
薩摩大口駅は、宮之城線の終点駅であると同時に水俣と栗野(現在の湧水町)を結ぶ山野線の駅でもありました。「郡山八幡」「西菱刈」はいずれも山野線の駅名です。
山野線が廃線となったのは1988年2月1日で、宮之城線の廃線は1987年1月10日。宮之城線のほうがおよそ1年早く無くなっていたんですね。なので、この表示板は「にしひしかり」の下に「はつき」と書かれていたものをペンキで塗って隠し、1年ほど使われていた、ということのようです。写真でも、よーく見るとうっすら「はつき」の文字が。見えるかな。
鉄道があると必ずその沿線の人の暮らしがあります。
これまで宮之城線を取材する中でお聞きしたことですが、
「山太郎がに(モクズガニ)をカゴいっぱいに積んで売りに行っていた」
「竹を切り出して宮之城線で運び、川内から東北に運ばれて養殖用のイカダに使われた」
などなど、どれもドキュメンタリーになりそうな話がたくさんあります。
現在では一級河川・川内川の治水に大きな役割を担っている鶴田ダムの建設にもこの宮之城線は大きく寄与しています。
薩摩川内の駅でも宮之城線沿線に入来や樋脇など温泉地が多いのですが、ダム建設に関わる作業員の方々で温泉が賑わってきた歴史もあるようでした。
鉄道が無くなることで、人の営みの記録や記憶も消えてしまうことがなければいいなあ、と思ったプチ旅。
大口ふれあいセンターの前には、鉄道公園もあってこちらには車両も置かれています。
もう動くことのない運転席だったと思われる場所。いまも駅跡を見つめています。