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一部の人からラジオくんと呼ばれています。

地域の音を記録に残してゆくということ

先日、鹿児島の伝統楽器「天吹(てんぷく)」の記事を書いてみた。

鹿児島の伝統楽器・天吹(てんぷく)を作ってきた - ローカルメディアマンの日常。

 

こういう伝統楽器は、有形の資産のようでそうじゃない。

モノとしての楽器は残ったとしても、演奏者が居なくなれば音が残らないからだ。もちろん録音や録画という方法はあるが、音楽というのは本来再現芸術である。演奏者がいて、演奏される機会や伝承される様式がなければ楽器が存在しているとは言い難い。

 

さて、人口が確実に減少していく中で、無くなってゆくことが確実な「音」がある。

 

わが地元でも、2005年時点で102,500人ほどだった人口が2016年3月1日現在で97,519人。(薩摩川内市ウェブサイトより)

10年ちょっとで5%程度の減少。世代別では全国の例と同じく少子化・高齢化が進んでいる。

こどもが少なくなると小中学校が統廃合されるのはやむを得ない。学校には最低限必要な機能というのがある。それらを維持するコストが見合わなくなってくるからだ。

わが母校の小学校も、ほか4校の小学校と統合されたあと、中学校といっしょになって小中一貫の「義務教育学校」と呼ばれるものになるそうだ。

 

別の小学校の閉校事業を取材する中で、校歌を録音して残しておきましょう、という話になった。母校が無くなるということは、校歌が無くなるということなのだなあと思った。

 

現在閉校の対象となっているのはどれも創設から100年以上経っているような伝統校ばかりである。途中で作り替えたところもあったかもしれないが、どの校歌も少なくとも数千人、もしかすると数万人のこどもたちが歌い続けてきた音であることは間違いない。その親も、祖父母も、という例も少なくないはずだ。

 

歌い継がれていくことは難しいかもしれないが、せめて録音を残しておこう。

そう思って閉校が決まっている学校の校歌録音の準備を進めている。

 

どう使うかはともかく、残しておくことが大事。まずはそのように思っているが、こどもたちが番組に出演してくれた際などには結構な割合で「CDになりませんか」と尋ねられる。校歌もCDにして欲しいという声が必ず出てくるだろう。

 

ハードルになるのは著作権。市民歌などであれば著作権ごと自治体が買い取っているケースもあるが、校歌となるとほとんどそういうわけにいかない。作詞者・作曲者が著名な方の場合は音楽著作権管理団体に預託してある場合もある(そしてそのほうが手続きが確実にできるのでスムーズである)が、地元の方が作られていたりするとなかなかそういったものばかりではない。JASRACの作品データベースでは、自分の地元のものはほとんど発見できなかった。

そうすると直接権利者またはその権利を相続された方に許諾を得るということになるのだが、これが難しい。著作権保護期間は現行法では著作者の死後50年ということになっている。およそ100年前に作られたとして、保護期間が切れているものもあるだろうがそもそも没年がはっきりしなかったり、相続された方の所在が不明だったりする。

 

このへんの課題には調査を進めつつじっくり取り組むしかないのだけど、もしうちの地元の校歌の作詞者・作曲者およびそのご家族などをご存知の方がいらっしゃったらぜひご一報いただきたい。

 

ローカルメディアのひとつの役割として、こういったアーカイブ性があるのではないかと思っている。郷土史などは地域の図書館に収蔵されていることが多い。音声や映像も同様のアーカイブがあるべきであるし、実際図書館でもそういった事業に取り組まれているところも少なくない。

いまや個々人が録音、録画機器を持っている時代であるし、それらの果たす機能は大きいとも思う。しかしそれだけではなく検索性と蓄積性、一定のクオリティをもったアーカイブというのは地域メディアが担うべきではないか。という気がしてきている。

 

全国で300局に迫ろうとしているコミュニティ放送局

なんらかの録音設備は各局持っているはずだし、ぜひ各地の音のアーカイブに取り組まれては、と思う。そして校歌の録音や著作権手続きなどのノウハウはぜひ共有できないものか。場合によってはアーカイブ目的の場合の著作権法の特例制度など、政策提言までできれば。そんなことを考えている。

 

昨日取材でうかがった場所は閉校から40年近く経った元小学校のグラウンド。

少年サッカーチームの練習場所になっていて、いまもこどもたちの元気な声が響いていた。


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